GRUENの歴史
ドイツ生まれのアメリカ人デイトリッヒ・グリュエンが
オハイオ州に時計工房を開いたのがGRUEN(グリュエン)の始まりです。
1900年の初め頃から、ムーブメントをスイスで製造し、
ケースの製造とケーシングをアメリカで行い完成品にして、
主にアメリカで販売されていました。
1908年には他のメーカーに先がけて女性用腕時計の開発に着手し
1910年から完成品をアメリカで売り出したのですがこれは爆発的なヒットとなりました。
1917年にダウンタウンにあった工場をシンシナティの方に移しました。
当時のダウンタウンは人が多く、馬車により土埃等が舞う場所でした。
環境も最良の時計を作る為の、かかせない条件と考えての移転でした。
不便さを負ってまでの移転は、グリュエンらしい生真面目さだと思います。
広大な牧草地を買い取り、そこの場所をタイムヒルと名づけました。
ベルギーの古いギルト・ホールに影響を受けた建物は
植木の1本まで精密にデザインされており、グリュエンの美的感覚の素晴らしさがうかがえます。
1935年に「カーベックス」という腕にフィットするようにカーブをしたデザインの
腕時計を発売しグリュエンは時計界で不動の地位を築きました。
カーベックスの卓越したデザインは、世代を超えて今現在も様々なブランドから販売されており、
曲線を描いた時計のデザイン全てを「カーベックスタイプ」と呼んでおります。
着け心地も大変良く、当時から現在まで人気の高いデザインです。
また、31代アメリカ大統領のハーバート・フーバーや、初めて大西洋無着陸横断飛行を成し遂げた
アメリカの英雄チャールズ・リンドバーグ、第一次世界対戦で活躍したアメリカの軍人らに贈呈していたことなどが、
”アメリカの時計メーカー”であることを物語っています。
スイス時計が主流だった時代に、アメリカ時計として成功を収められたのは
グリュエンの類稀なデザイン性や感性の素晴らしさによるものです。
そして、決して譲らない真面目さと。
フレッド ・グリュエン は1940年に引退し1945年に死去し、
その7年後の1952に彼の兄弟であるジョージも追うように旅立ちました。
そして翌年の1953年に、グリュエン家の運営によるグリュエンの幕が降りました。
グリュエンの全権を売却しグリュエン家による運営を離れてしまった後は、
あまりに有名な「グリュエン」の名前を巡り、
様々なスキャンダルを得て、バラバラにその名前を買い取られました。
1953年以降も、文字盤に「GRUEN」の刻印のある時計を販売しておりましたが、
グリュエン家によるグリュエンらしい時計は1953年以前の品ではないかと思います。